女子高生、カンボジアへ行く。

当時17歳。日本ユネスコ協会連盟主催 公益社団法人かめのり財団共催 第6回カンボジアスタディツアー参加。

ツールスレン博物館(カンボジアST🇰🇭)

 

カンボジアには、ポル・ポトという指導者による悲惨な歴史があります。

 

 

1970年代、ポル・ポトは、完全な農業社会を理想とし、国民は、農民になるべきとされました。

 

そのため、知識人は政権により、拷問され、虐殺されました。ポル・ポト政権が、知識人と判断した人の特徴は以下のようなものです。

 

  • 教師や医者である
  • メガネをかけている
  • 外国語を話すことが出来る

 

 

このような理由だけで、多くのカンボジア人が殺されたのです。

 

 

ポル・ポト政権時代について学ぶことができる場所として、ツールスレン博物館とキリングフィールドがあります。私達は、この2つの場所を訪れました。今回は、ツールスレン博物館について、紹介します。

 

 

 

 

ツールスレン博物館にて

 

ツールスレンは、当時、多くの国民が収容され、拷問された施設です。

 

f:id:mchisa:20200110074602j:image

 

ツールスレン博物館の入口です。民家や店などの建物が密集している中にありました。

 

 

 
f:id:mchisa:20200110074612j:image

 

建物の中に入ると、当時の国民が収容された部屋の様子について見ることができます。写真のベッドの上に置いてあるものは、足を固定し、動きにくくするものです。現在は1つの部屋にベッドが1つしかありませんが、実際には何人もの収容者が1つの部屋に詰め込まれました。

 

また、写真には写っていませんが、壁には、当時収容者が殺された時の写真が掛けられていました。

 

 

他の部屋には、当時の収容者の写真が大量に展示されていました。殺される直前に撮られた写真、殺された時の写真が展示されていて、それらはとても直視出来ないようなものでした。

 

 

 

 

考えたこと

 

現在、カンボジア国民がツールスレンを訪れることは、ほとんどありません。ポル・ポト政権時代はカンボジア人にとって、悲惨で掘り起こしたくない歴史となっています。

 

特に、現地ガイドが「殺された人達の魂の声が聞こえる」とおっしゃっていたのがとても印象に残っています。

 

私は、ツールスレン博物館を訪れ、ポル・ポト政権時代が、現在も掘り起こしたくない歴史とされていることを知りました。建物内の所々にある展示物がどれも当時の悲惨さを物語っていました。最近になっても、殺される前の人々の写真の表情を思い出し、どんな感情だったのだろうと考えることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

ツールスレン博物館を訪れた翌日、私達は、キリングフィールドを訪れました。キリングフィールドは、収容されていた人々が、無理やり連れてこられて殺された場所です。次回は、キリングフィールドについて紹介します。