女子高生、カンボジアへ行く。

当時17歳。日本ユネスコ協会連盟主催 公益社団法人かめのり財団共催 第6回カンボジアスタディツアー参加。

キリングフィールド(カンボジアST🇰🇭)

 

前回は、1970年代のポル・ポト政権により、多くの国民が収容された施設であるツールスレンについて書きました。

 

ツールスレン博物館(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。

 

今回は、当時多くの国民が殺された地、キリングフィールドについて紹介します。

 

 

 

キリングフィールド

 

キリングフィールドは、ポルポト政権が、大量虐殺を行った場所で、カンボジア国内各地にあります。その中で、規模の大きな場所が首都プノンペンのキリングフィールドです。私達は、そこを訪れました。

 

 

現地ガイドが、キリングフィールド内の案内や説明をしてくれました。その中には、殺し方の具体的な説明などもあり、それらはとても残酷なものでした。

 

 

残虐な殺し方

 

①ヤシの木

 

f:id:mchisa:20200116163316j:image

 

写真は、キリングフィールド内にあるヤシの木です。ポルポト政権時代は、このヤシの木が殺人の道具として使用されました


f:id:mchisa:20200116163319j:image

 

写真だとわかりにくいかもしれませんが、ヤシの木の茎の部分はギザギザしています。この部分を利用して、人を切りつけました。

 

 

ネムノキ


f:id:mchisa:20200118161012j:image

 

このネムノキは、子どもを殺すことに使われました。子どもの脚を持ち、バットのように頭を木に打ち当てました。

 

f:id:mchisa:20200118161017j:image

 

世界中の観光客がこの話に胸を痛め、ミサンガをお供えしたため、現在は写真のようになっています。

 

 

 

このような殺し方をとった理由は、刀や銃、銃弾がもったいない、と考えられたからです。当時の政府には、財政面の余裕はありませんでした。

 

 

くぼみ

 

f:id:mchisa:20200118162402j:image

 

キリングフィールド内には、たくさんのくぼみがあります。これは、殺された人々が埋められていたためにできたものです。


f:id:mchisa:20200118162405j:image

 

ここにも、当時殺された人々が埋められていました。

 

 

慰霊塔

 

f:id:mchisa:20200118162750j:image

 

慰霊塔には、キリングフィールドで亡くなった方々の遺骨が保管されています。


f:id:mchisa:20200118162359j:image


f:id:mchisa:20200118162408j:image

 

 

キリングフィールドに行って

 

キリングフィールドでは、当時多くの人々が政府により、残虐な方法で殺されたと学びました。

 

現地ガイドは、自分の叔父はポルポト政権によって殺されたと話してくれました。そんな彼が、私達スタディツアーのメンバーに向かって「泣かないで」とキリングフィールド内で何度も声をかけてくれたことがとても印象に残っています。