女子高生、カンボジアへ行く。

当時17歳。日本ユネスコ協会連盟主催 公益社団法人かめのり財団共催 第6回カンボジアスタディツアー参加。

キリングフィールド(カンボジアST🇰🇭)

 

前回は、1970年代のポル・ポト政権により、多くの国民が収容された施設であるツールスレンについて書きました。

 

ツールスレン博物館(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。

 

今回は、当時多くの国民が殺された地、キリングフィールドについて紹介します。

 

 

 

キリングフィールド

 

キリングフィールドは、ポルポト政権が、大量虐殺を行った場所で、カンボジア国内各地にあります。その中で、規模の大きな場所が首都プノンペンのキリングフィールドです。私達は、そこを訪れました。

 

 

現地ガイドが、キリングフィールド内の案内や説明をしてくれました。その中には、殺し方の具体的な説明などもあり、それらはとても残酷なものでした。

 

 

残虐な殺し方

 

①ヤシの木

 

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写真は、キリングフィールド内にあるヤシの木です。ポルポト政権時代は、このヤシの木が殺人の道具として使用されました


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写真だとわかりにくいかもしれませんが、ヤシの木の茎の部分はギザギザしています。この部分を利用して、人を切りつけました。

 

 

ネムノキ


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このネムノキは、子どもを殺すことに使われました。子どもの脚を持ち、バットのように頭を木に打ち当てました。

 

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世界中の観光客がこの話に胸を痛め、ミサンガをお供えしたため、現在は写真のようになっています。

 

 

 

このような殺し方をとった理由は、刀や銃、銃弾がもったいない、と考えられたからです。当時の政府には、財政面の余裕はありませんでした。

 

 

くぼみ

 

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キリングフィールド内には、たくさんのくぼみがあります。これは、殺された人々が埋められていたためにできたものです。


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ここにも、当時殺された人々が埋められていました。

 

 

慰霊塔

 

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慰霊塔には、キリングフィールドで亡くなった方々の遺骨が保管されています。


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キリングフィールドに行って

 

キリングフィールドでは、当時多くの人々が政府により、残虐な方法で殺されたと学びました。

 

現地ガイドは、自分の叔父はポルポト政権によって殺されたと話してくれました。そんな彼が、私達スタディツアーのメンバーに向かって「泣かないで」とキリングフィールド内で何度も声をかけてくれたことがとても印象に残っています。

 

 

ツールスレン博物館(カンボジアST🇰🇭)

 

カンボジアには、ポル・ポトという指導者による悲惨な歴史があります。

 

 

1970年代、ポル・ポトは、完全な農業社会を理想とし、国民は、農民になるべきとされました。

 

そのため、知識人は政権により、拷問され、虐殺されました。ポル・ポト政権が、知識人と判断した人の特徴は以下のようなものです。

 

  • 教師や医者である
  • メガネをかけている
  • 外国語を話すことが出来る

 

 

このような理由だけで、多くのカンボジア人が殺されたのです。

 

 

ポル・ポト政権時代について学ぶことができる場所として、ツールスレン博物館とキリングフィールドがあります。私達は、この2つの場所を訪れました。今回は、ツールスレン博物館について、紹介します。

 

 

 

 

ツールスレン博物館にて

 

ツールスレンは、当時、多くの国民が収容され、拷問された施設です。

 

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ツールスレン博物館の入口です。民家や店などの建物が密集している中にありました。

 

 

 
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建物の中に入ると、当時の国民が収容された部屋の様子について見ることができます。写真のベッドの上に置いてあるものは、足を固定し、動きにくくするものです。現在は1つの部屋にベッドが1つしかありませんが、実際には何人もの収容者が1つの部屋に詰め込まれました。

 

また、写真には写っていませんが、壁には、当時収容者が殺された時の写真が掛けられていました。

 

 

他の部屋には、当時の収容者の写真が大量に展示されていました。殺される直前に撮られた写真、殺された時の写真が展示されていて、それらはとても直視出来ないようなものでした。

 

 

 

 

考えたこと

 

現在、カンボジア国民がツールスレンを訪れることは、ほとんどありません。ポル・ポト政権時代はカンボジア人にとって、悲惨で掘り起こしたくない歴史となっています。

 

特に、現地ガイドが「殺された人達の魂の声が聞こえる」とおっしゃっていたのがとても印象に残っています。

 

私は、ツールスレン博物館を訪れ、ポル・ポト政権時代が、現在も掘り起こしたくない歴史とされていることを知りました。建物内の所々にある展示物がどれも当時の悲惨さを物語っていました。最近になっても、殺される前の人々の写真の表情を思い出し、どんな感情だったのだろうと考えることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

ツールスレン博物館を訪れた翌日、私達は、キリングフィールドを訪れました。キリングフィールドは、収容されていた人々が、無理やり連れてこられて殺された場所です。次回は、キリングフィールドについて紹介します。

 

 

カンボジアでタランチュラとサソリを食べた話(カンボジアST🇰🇭)

 

今回は、虫の話を画像付きでします。そのため、虫が苦手な方は、読むことをご遠慮していただくことをお勧めします

 

 

 

カンボジアでは、様々な虫が食用として販売されています。その一部について紹介します。

 

 

 

最もよく見かけたものは、コオロギです。観光客が多いセントラルマーケット付近でも買うことができます。味は、エビのようといわれます(私は、残念ながら食べていません) 。

 

セントラルマーケット

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私が食べたものは、タランチュラとサソリです。私が買った時は、1匹1ドルほどでした。しかし、現地の方によると、それは私が外国人だから値引きしてくれなかっただけで、普通は1ドルあれば5匹ぐらいは買えるということでした。

 

 

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買った店です。虫が山のようにお皿に乗っています。

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食べ方

そのまま食べても問題ありませんが、現地の方は、足の先端だけ取り除いて食べていました。理由は虫は色々なところを歩いていて汚そうだから、ということでした。

 

また、サソリは、ハサミと尾の部分は取り除いて食べました。

 

 

毒について

タランチュラといえば、毒も持つことで知られていますが、調理すると毒性は消えるとか…?(正確にはわかりませんでした)

 

 

感想

タランチュラもサソリも甘辛い味付けで、サクサクとした軽い食感で、美味しかったです。

 

しかし、一緒に食べた日本人メンバーの中には、見た目のイメージから、少し食べて捨ててしまう人も…

 

 

 

もし、カンボジアに行く機会があったら、ぜひ一度虫食にチャレンジしてみてほしいです。その際は、あまり見た目のイメージに引っ張られすぎないようにしてください!

 

 

 

塗り絵プロジェクト(カンボジアST🇰🇭)

 カンボジアスタディツアーでは、寺子屋に通う学生と交流する機会が、何度かありました。

チョンクニア寺子屋(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。
リエンダイ寺子屋(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。
家庭訪問(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。




 その中には、寺子屋ではなく、アンコール遺跡で一緒に学ぶプログラムもありました。



 私達が向かったのは、アンコール・トムです。アンコール・トムとは、12世紀の後半に、ジャヤバルマン7世によって造営された仏教寺院などの建築群のことで、世界遺産の1つです。



 ここでは、『塗り絵プロジェクト』に参加させていただきました。『塗り絵プロジェクト』は、現地学生がアンコール遺跡の大切さを学ぶために行われているプロジェクトです。実際に遺跡を訪れ、アンコール遺跡への理解を深めます。




『塗り絵プロジェクト』

 私達は、カンボジアの学生がプロジェクトに参加しているところに、一部だけ参加させていただくという形で、現地学生と一緒に行動しました。



 はじめに、私達は、アンコール遺跡やこのプロジェクトの説明を受けました。そして、遺跡のイラストが描かれている冊子を受け取り、グループに分かれて、塗り絵をしました。(説明はクメール語のため、完全な理解は出来ず、周りの現地学生の行動を真似するような感じです)



 次に、グループごとに、遺跡を回りました。現地学生と一緒に地図を見ながらの行動です。クメール語と日本語の通訳はついて来ないので、少し不安もありましたが、現地学生を頼りに進みました。


 目的の遺跡に到着すると、1人の現地学生が塗り絵冊子の説明文をみんなの前で読み上げました。文章や絵と実際の遺跡を見比べ、遺跡に対する理解を深めました。




世界遺産⚪︎×クイズ

 『塗り絵プロジェクト』の途中に、日本人メンバーで企画した、世界遺産に関する⚪︎×クイズ大会を行いました。

例)(那智の滝の写真を見せながら)
「この滝の高さとアンコール・ワットの一番高いところを比べると、滝の方が高い、⚪︎か×か」

 想像以上に盛り上がり、現地学生にも楽しんでもらえたと思います。


 


『塗り絵プロジェクト』に参加して

 『塗り絵プロジェクト』では、カンボジアの学生が一生懸命に自国の遺跡を学ぼうとしていました。遺跡を自分達で見つけるという体験は、スタンプラリーをクリアしていくようで、とても楽しかったです。




 最後に、カンボジアの学生と日本人メンバー全員でカンボジアの民謡「アラピア」を歌いました。同じ歌を歌うことで、気持ちが1つになり、お互いの心がつながったような嬉しさを感じました。



 カンボジアの学生は、私達と別れた後も、別の遺跡に移動してプロジェクトを行うそうです。彼らと一緒にアンコール遺跡を学ぶことで、私は、普通の観光とは違った視点で遺跡について学ぶ貴重な体験が出来ました。

家庭訪問(カンボジアST🇰🇭)

 

リエンダイ寺子屋での交流後、私達は2つのグループごとに、寺子屋に通う学生の家庭訪問をしました。私は、15歳の女子学生の家を訪れました。

 

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リエンダイ寺子屋でのお話はこちらをご覧ください。

リエンダイ寺子屋(カンボジアST🇰🇭) - 女子高生、カンボジアへ行く。

 

 

 

 

ヌードル作り

   

ヌードル作りを体験しました。女子学生の家庭では、よく作っているもので、近所の人に販売します。

 

 

 米から生地を作ります。

 

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写真の機械は電動ですが、以前は次の写真の道具を使用していました。


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生地をある程度丸めたら、写真の道具を使って生地をつきました。この道具は、2人で使います。1人が棒の先を足で踏んで動かし、もう1人が生地を整えます。日本の餅つきのようでした。

 

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この後、生地を麺状にして、茹でると完成です。

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完成品はこちら。塩やおかずとともに食べます。見た目はそうめんのようです。


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女子学生の願い

 

ヌードル作りが終わった後は、近所に暮らす子どもたちも加わって自由に遊びました。

 

 

 

その中で、女子学生が今欲しいものについての話になりました。彼女はスマホと言いました。その理由は、計算が簡単にできるし、英語の勉強ができるからと教えてくれました。

 

また、彼女は、将来は村の人たちを助ける医者になりたいと言っていました。そのために、現在は勉強に励んでいるということでした。

 

 

ここまで、笑顔で語る彼女でしたが、だんだん真剣な表情に変わり、家族のことについて話してくれました。

 

彼女には、弟がいます。弟は、祖父母の家で暮らしており、学校には通っていません。寺子屋は祖父母の家の近くにはありません。彼女が住む家に移り、寺子屋に通わせたいと思っても、祖父母との関係上難しいとのことでした。

 

彼女は、時々寺子屋を辞めることを考えると言いました。その理由は、寺子屋を辞めて働き、弟を学校に通わせたいからと教えてくれました。彼女は、いま自分が寺子屋に通うことが、将来、家族のためになるとも言いました。しかし、今すぐにこの状況を改善させるためには、寺子屋を辞める方がいいのではないかと悩んでいました。

 

 

 

 

まとめ

 

家庭訪問は、スタディツアーの中でも、特に印象的な経験となりました。女子学生は、別れ際、また来て欲しいと言ってくれました。私は、またここに来て彼女に会いたいと強く思いました。

 

 

 

 

リエンダイ寺子屋(カンボジアST🇰🇭)

 

今日は、リエンダイ寺子屋を訪れた際のことについて書きます。

 

 

リエンダイ寺子屋は、アンコール遺跡という観光地の近くにありますが、周辺地域には、貧しい暮らしを送る人が多いというのが現状です。

 

 

 

今回のスタディツアーでは、実際にリエンダイ寺子屋の復学支援クラス(説明下)に通う学生と交流しました。交流内容については、私達日本人メンバーが、スタディツアーが始まる前からメールを通して相談していました。また、スタディツアーが始まってからも、何度か交流内容を話し合っていたので、現地学生との交流は、私自身とても楽しみにしているプログラムの1つでした。

 

復学支援クラスとは…

小学校を途中で辞めてしまった(ドロップアウト)人向けに小学校教育課程を2年間に短縮して教えています。卒業すると、中学入学資格を与えられます。私が訪れた時は11歳から18歳までの学生が一緒に学んでいました。

 

 

 

 

 

授業見学

 

リエンダイ寺子屋に到着し、教室に入ると、たくさんのカンボジアの学生が授業を受けているところでした。私達は、まず、約40分間授業の見学をさせていただきました。クメール語の授業が行われていて、教科書のフレーズをクラス全員で音読したり、指名された学生が問題の答えを黒板に書いたりするなど、授業の進み方は日本で私が受けているものと大差ないように感じました。

 

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授業風景です。写真を見ていただくとわかると思いますが、教室には明かりがついていません。しかし、これはカンボジア国内では普通のことです。カンボジアでは、晴れている日は、教室の電気はつけないと現地ガイドがおっしゃっていました。

 

 

 

 

学生との交流

 

授業見学が終わると、いよいよ入念に準備してきた現地の学生との交流時間です。私達は、まず日本の笑いとして、あるリズム芸を紹介しました。日本人メンバーのY君が実際にその芸をやってみせると、教室が笑い声で包まれました。言葉は日本語でしたが、カンボジアの学生も手を叩いてリズムに乗ってくれて、私は、この交流がとても楽しく充実したものになると感じました。

 

 

その後は、折り紙の紹介をしました。カンボジアの学生と日本人メンバーが混ざったグループを作り、各グループごとに日本人メンバーがカンボジアの学生に教えるという形で交流しました。チューリップやネコなど折り紙初心者でも簡単に作れそうなものを選び、一緒に作業しました。

 

特にカンボジアの学生が興味を持ってくれたのは、紙飛行機です。男子も女子も全員が、それぞれの紙飛行機を作り、飛ばして遊びました。寺子屋の外に出て、みんなで飛距離を競うなど、とても盛り上がりました。

 

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しかし、現地学生との交流では、悔しいこともありました。

 

 

 

リエンダイ寺子屋では、現地学生との交流を通じて、言語の壁を強く感じました。寺子屋周辺地域では、英語を話せる人はほとんどいません。もちろん、その場の雰囲気やジェスチャー、表情によって、なんとなく相手の感情を読み取ることはできます。しかし、複雑な会話はできません。カンボジアの学生との距離をもっと深めたいと思った時、互いに共通言語を持たないということは、とても不便で、通訳を介さなければならないことに悔しさともどかしさを感じました。

 

 

 

リエンダイ寺子屋で実際の授業を見学し、学生と交流して、寺子屋の現状について、詳しく知ることが出来ました。

 

 

チョンクニア寺子屋(カンボジアST🇰🇭)

 

カンボジアスタディツアーでは、チョンクニア村を訪れました。チョンクニア村は首都プノンペンと比べると、まだ貧しい人が多いのが現状です。また、トンレサップ湖が近く、水上集落として有名な村でもあります。

 

 

チョンクニア村には、寺子屋という日本ユネスコ協会連盟が支援する施設があります。(寺子屋については、また今度詳しく書きます)今回は、そこでの体験について書きます。

 

 

 

 

チョンクニア寺子屋の取り組み

 

 

チョンクニア寺子屋は、カンボジア国内に17ヶ所ある寺子屋のうち、特に積極的に活動している寺子屋です。現在は現地の方々が運営委員として、寺子屋を支えています。チョンクニア寺子屋の活動により、周辺地域の識字率は56%から89%に上がりました。主な活動を紹介します。

 

①識字クラス

②幼稚園

③専門技術教育

④収入向上プログラム

 

 

 

①識字クラス

 

簡単なクメール語の読み書きを教えています。先述したように、チョンクニア寺子屋周辺地域の識字率は、56%から89%まで向上しました。

 

 

②幼稚園

 

小学校に通う前に通うことで、家を離れてどこかに通うという習慣を身につけることができます。その結果、小学校に通い続ける人が増えます。ドロップアウトする子どもを減らすために重要な役割を持っています。

 

 

③専門技術教育

 

伝統的音楽や手工芸技術を教えています。この活動により、それまで遠方まで働きに行っていた人が、自宅の近くで働き、家族全員で暮らすことができるようになりました。

 

 

④収入向上プログラム

 

地域の人に安い利子でお金を貸し、新たな取り組みをする地域の人達を支援しています。寺子屋が損をするようなことはなく、地域の人が自立するための支援ができるという寺子屋と地域の人の両者にとって、とても有益なプログラムとなっています。

 

 

 

 

 

ホテイアオイのコースター作り

 

専門技術教育の中に、ホテイアオイで、バッグなどを作る技術が教えられています。バッグを作るには、慣れていても2日間はかかるということなので、私達は、コースター作りを体験しました。

 

f:id:mchisa:20200103093231j:plain 職人として働く女性に教えてもらっている場面です。初めは簡単そうに見えましたが、実際にやってみると、とても難しかったです。何度も失敗して、その度にほどいてもらって、やり直して…本当にご迷惑をおかけしました。

 

f:id:mchisa:20200103093326j:plain 完成品です。

 

 

f:id:mchisa:20200103155933j:image購入したホテイアオイのバッグです。とても可愛くて、容量たっぷりでお気に入りです。

 

ホテイアオイの工芸品は、現地で観光客向けに販売されたり、輸出されたりしています。その収入の一部は、寺子屋を運営する資金ともなっています。日本でも、購入できるとのことでした。

 

 

 

まとめ

 

寺子屋を直接訪れることで、実際の寺子屋の雰囲気を感じることが出来ました。寺子屋が勉強だけでなく、専門技術教育など地域の人々のニーズに合わせて活動し、地域の発展の中心となっているということを学びました。

 

それまで、私は、寺子屋にあまり明るいイメージは持っていませんでした。しかし、特に、コースター作りを教えてもらった際には、職人どうしで笑い話をしながら働いており、とても和やかな雰囲気で仕事をしていると知りました。